1つ星 (4 投票)
読み込み中...

墓標

「チャミスルは、ほんま酔う酒やなぁ」

尼崎駅南口ロータリー喫煙所。
女性二人がほろ酔いの中、楽しそうに会話している。

チャミスルとは、韓国ソウルを代表する焼酎だ。
最近は、『梨泰院クラス』の影響で、若い人々の間で流行っているらしい。

韓国料理屋ママキムチが大繁盛しているといいなぁ、と早稲田の土地に想いを馳せる。


関西

2020年11月7日、私は、この家を出る。

新卒で入社してすぐ大阪事業所へ赴任し、1年以上、尼崎に住んだ。
入社直後の意図せぬ転勤と過労、周囲からの抑圧のために、私は3ヶ月以上、会社へ行けなくなった。

復職した今も、大阪事業所には行きたくない。
業務上、仕方なく出社はするが、明確に体調が不良となる。
後遺症は大きい。

「そんなに関西が嫌いか?」

と聞かれる。

関西は嫌いではない。むしろ、好きだ。

街の人々は、気軽にコミュニケーションを取ってくれるし、住みやすさ、歴史、食、海と山、文化の色、とても良い場所だ。

実際に、関西に来てから、店舗が異動した後も追っかけて担当してもらう美容師がいるし、顔を覚えてもらっている行きつけのお店もある。

家族も生まれも人脈も想い出もリセットされて、客観的に見ることが出来たなら、きっと、関東よりも好きと胸を張って言える。
神戸、大阪、京都はそれぞれ強い個性を発揮し、電車一本で繋がっているのも魅力だ。
東京一極集中の関東と比べものにはならない。

関東はもっと北関東の魅力を再認識し、活かしてあげた方が良い。

そんな素晴らしい関西で気持ちが落ち込んでしまった人間がいる、ということを先述の質問をした人間には理解してほしい。


最後

今週が、関西での最後の土日だった。
来週末は、引っ越し関連の手続き等のため、東京で過ごす。

大阪には2人だけ、学生時代からの友人がいる。

1人とは、金曜日、行きつけのお店でシーシャを吸った。
彼も、大阪へ赴任していて、この1年間、毎月いっしょにシーシャを吸った。
オススメの本を交換したり、彼の課長に対する愚痴を聞いたり、しょうもないラップ対決をしたりした。

そして、一番遊んでくれたもう1人とは、今からドライブへ行く。
一緒に深夜徘徊をしたり、終電後まで酒を飲んだり、焼き肉を食べるためだけにクルマで京都に行ったり、一緒に悩んだりした。

この二人と会えただけで、最高の最後の週末になったんじゃないだろうか。
ありがとう、二人とも。


肝心の土日は何をしたか。
土曜日は、仕事で毎日のように通った神戸へ行き、今日は慣れ親しんだ尼崎で買い物をした。

土曜は面白いことが思い浮かばなかったので、Twitterのアンケート機能を利用して、リアルタイムで目的地を決めてもらうことにした。

結果、昼食を食べた後、ケーキ屋、角打ち、サウナへと行くことになった。

すべてのお店が日本で一番だった。
日本で一番美味しいとんかつ屋であり、一番かわいいケーキ屋であり、一番趣のある角打ちであり、一番良いサウナだった。

日本一は、すべて神戸に集まっていたらしい。


自由

「神戸 角打ち」

Googleで検索をする。
毎日ランチを食べていた神戸三ノ宮でも、角打ちまでは把握していなかった。

ケーキを食べて満足していた私からすると、16時から角打ちに行きたい気分ではなかった。
それでも、Twitterで決まったからには仕方ない。
10票にも満たない匿名の意思が、私の行動を決める。


一見客には、とても入りづらい店構えだった。
繁華街の隅に、昔から取り付けられている酒店の看板が見えた。
開店しているかも分からないが、ガラス扉の向こうには、私の祖母と同じ年齢に見える女性がひとりで座っていた。

「すみません、ここで吞んでも良いんですか?」

「うちは1種類の日本酒しか置いてませんよ?頑固な酒屋でねぇ。」

「大丈夫です、それをください。どこで吞めば良いですか?」

「うちは、どこで吞んでも良いんです。適当に。」


私は在庫の段ボールが置いてあるテーブルの前に立ち、龍力のワンカップを受け取った。

「お代は先?それとも、後ですか?」

「どちらでも良いですよ、その代わり、必ず受け取ります。」

長年培ってきたアイスブレイクの方法なのか、穏やかで、且つ真剣な表情を浮かべて答えてくれる。

「これは上等なお酒でねぇ。あなたも、これを目当てに?」

「いえ、正直、何も知らぬまま、来ました。」

「そうなんですねぇ。全国から、お客さんが、これを目的に来てくれるんですよ。」

私が質問をすると、色々なことを教えてくれた。
龍力へのこだわり、米の種類、ワンカップのガラスの良さ、……
節々に、老舗酒屋のプライドを感じる。

「猫、お好きなんですか?」

閑話が休題したとき、酒屋を見回すと、猫の写真や絵がたくさんあることに気づいた。

「あぁ、そうなんです。昔は、たくさん飼っていてねぇ。この絵は私が描いたんですよ。お父さん(夫)が、『殺風景だから』って。」

私は、2杯目の酒を頼んだ。

「ご自身は、お酒を飲まれるんですか?」

「とんでもない!一滴も飲んだことありませんよ。姑さんが居る前で、お酒なんて飲めなかったんですよ。今のお若い方はたくさん飲んでらっしゃると思いますけど……そんな時代だったんです。でも、お酒の味を知らないから、今となっても、欲しいとも思わないんです。先ほど、お教えしたお酒の話は全部、お客さんから聞いたことなんですよ。来てくれるみんな、私よりたくさんお酒に詳しくて、いっぱい教えてくれるんです。」

とてもかわいらしい笑顔で、そう話してくれた。

84歳のおばあちゃんは、酒屋に嫁に来てから半世紀以上の間、姑さんと男たちのために働いた。
酒屋なのに、お酒を飲んだことがない。
好きを仕事に、なんていう話は夢のまた夢だ。

いま都市部では、選択肢が増えてきている。
これ自体は良いことだと思う。
正解は人それぞれで、選ぶ権利がある。
住む場所も、就く職も、好きになる人も、男女も年齢も、そのもとに縛られなくて良いように、社会を変えようとしている人がいる。

とても、素敵なことだと思う。

一方で、その社会を逆手にとられて、追い詰められるパターンが増えてきている。
自分で決めたのだから。会社を辞めれば良い。結婚してしまえば良い。変えたいなら努力をしろ。

自由という権利が広がってきているからこそ、「会社の命令だし仕方ないな」「男だから/女だから仕方ないな」と諦めるのが難しくなっている。
それは、明らかに新しい類いの現代病である。

もちろん、自由な社会なんてダメだ!という的外れな意見表明がしたいのではない。逆だ。
諦めずに、自由の権利を行使するには、まだまだ険しい道のりを越える必要が残ってしまっている。
自由の権利を容易に行使できるまでに、社会が変わりきれることを願う。

「でも、10年前くらいから、自分の人生、誰の物なんだろうって思うようになったんです。だから、お父さんと旅行するようになりました。お盆と正月しか、お休みは取れないけれど、初めて飛行機に乗って、北海道と沖縄へ行きました。遠いところから行っておかないと、行けなくなっちゃいますからねぇ。とはいえ、80を越えてからは、なかなか出かけられなくなっちゃいました。腰も痛いですし。」

今後は、「なんとかして、クラゲの水族館に行きたい」と教えてくれた。
「貝の水族館に行って、アンモナイトの仲間を見て、大昔のことを考えるのが好きなんだ」と教えてくれた。
そのときの彼女の顔は、とても若々しく、私よりも遥かに輝いた目をしていた。

あぁ、社会は、人間の半数の才能を奪っていたんだな、と思った。


墓標

そんなこんなで、私は一生懸命戦いました。
ありがたいことに、東京にも私を求める部署があり、11月中に関東へ赴任します。

怖いですね、再度赴任との恐怖に苛まれながら生きていかねばならないなんて。
そんなときは、辞表を叩きつけても問題ないくらいの経験をつけておきましょう。

関西はいいとこやで。

花瓶なんてないこの部屋に、花を買って帰りました。
まるで――。



関連記事▼

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
1つ星 (4 投票)
読み込み中...