とある団地の目前に、ヤオコーがあった。
私が覚えているのは、その団地の4階に住んでいたことと、そのヤオコーで起きた事件だけである。
そして、この事件が、思い出せる体験で一番古い記憶である。
幼稚園に入園する前、私はこの団地に住んでいた。
妹は2歳下なので、歩けるようになって言葉も話せるようになっていたはずだ。
母は、私の行動に目を光らせながら妹の乗るベビーカーを押して、よくヤオコーで買い物をした。
ヤオコーとは、埼玉県を中心に店舗を構えるスーパーマーケットだ。
子供の危うさ・脆さを知ると、母の日常は、心身共に相当な重労働であることを実感する。
その日も、いつものように3人で買い物をしに行った。
母は、片手にカゴ・片手にベビーカーで青果コーナーにいた。
ベビーカーを手元に置きながらも、後ろの棚を物色する。
目をベビーカーに戻した時には、すでに遅し。
やけに静かな妹が、目に入る。
小さい彼女は、ベビーカーから手を伸ばし、商品棚に並んでいたブドウを食べていた。
もちろん、買い取り確定だ。
あんまり覚えてないけど、だいぶ怒っていた気がする。
「今日は、無理だ。」
私は、ヤオコーに付随しているマクドナルドでシェイクをねだることを諦めた覚えがある。
ここは、大阪梅田。
同じタイミングで大阪赴任をしている大学時代からの友人に、この話をした。
「俺の一番古い記憶はねぇ……」
シーシャの煙を吐き出しながら、24歳男性会社員は話してくれた。
確か、あれは2歳頃だった。
母が漕ぐ自転車の後ろに備え付けられたチャイルドシートの中で、揺られていた。
姉を幼稚園に迎えに行くため、母は自転車を漕いでいた。
幼稚園に着いた後、俺はチャイルドシートに座ったまま、待った。
俺は、生まれた年に発売された「ポケモン緑」をやりながら、待った。
普段は外でゲームをやらせてくれない母が、珍しく許してくれた。
60レベルくらいの手持ちポケモンたちで、野生のコラッタたちを虐殺した。
これが、彼の一番古い記憶。
面白いようで笑えないけど、幼い子って、時に残酷で、死に対して興味がある。
私たちは、いつから道端のアリを踏むのを辞めたのだろう。
皆さんの一番古い記憶は何だろう?
いつ、どこで、誰との思い出だろう?
良い思い出だろうか?思い出したくもない辛い経験だろうか?
どうして、それを覚えているのだろうか?
覚えているということは、もしかしたら、今の人生や考え方に大きく影響しているかもしれない。
ルーツと言ったら大層なものに聞こえるかもしれないが、考察すると案外、興味深い。
思い出して、家族や友人と話したら面白い。
少なくとも、暇つぶしにはなる。
そのうえで、本当に思い出したくないことは、思い出さなくていい。
今、一緒にいる人と「今」の話をしたほうが楽しい。
一人でいるなら、「これから何を食べるか」を考えたり、マッサージの予約を入れたりすれば良い。
別にこの記事で伝えたいことは、特にない。
ただただ、暇つぶしの方法を1つ、提示しただけ。
書き上げた後に心に浮かんだ唯一の感情は、母への感謝だけ。
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