「いま死んだら、誰がいつ気づいてくれるんだろう?」
毎日連絡を取り合う人も居ないし、一緒に住んでいる人も居ない。
仕事だって、個人プレー中心なので会議さえ入れていなきゃ特に連絡が来ることはない。
ブログの更新が止まっていようが「あぁ、そろそろ飽きたんだな」となるだけだろう。
現に1週間、更新しなくても指摘されることはなかった。
受け身をとらずに頭からベッドに倒れこむ。
信じられるモノがあるってのはいい。
この信じていたモノが、マットレスではなく、鉄塊であったら……
「一人だからこそ遊べることは、たくさんある。」
本当か?
金も無い、出かける場所も無い、映画館でも行くか本を読むしかない。
カネが無いってのは、表現が違ったかもしれない。
正確には、ひとりのためにかけるカネなど無い。
複数人で遊ぶなら、楽しさが何百倍にもなるから同じコストであろうと安くなる。
自分のためだけにお金をかけることは、何となく気を紛らわせることはできる。
が、その額は膨れていくばかりで、すぐに虚無が訪れる。
スーパーで買ってきた食材で夕飯を作ったり、友達と公園でキャッチボールをしたりするだけで良いんだ。
こんなに元気なのに、家で「夕闇に誘いし漆黒の天使達」のYouTube動画を見て、ひとりでラーメンを食べるしかない。
「遠くに一人で暮らす意味、ってなんなんだろう?」
夢の実現?自由な生活?
では、求めている夢が、好きな人たちと懸命に仕事をして、オフになったら好きな人たちと遊ぶことだったら?頑張って稼いだお金で家族と一緒に美味しいご飯を食べることだったら?
ビジネスマンとして成長すること、出世することがすべてでない。
確かに、チカラをつけて会社のためになること、社会のためになることは重要かもしれない。
そこの研鑽は怠ってはならない、とも思う。
じゃあ、研鑽していたら良いではないか?
実家でも、東京でも、地方でも、勉強するやつはするし、しないやつはしない。
「期待しているから地方へ行ってもらったんです。」
わざわざ、家族や好きな人たちから隔離して心身の健康を損なわせる意図がわからない。
20代として、業務経験や苦難がたくさんあったほうがいいのかもしれない。
とてもわかるし、実際にキャリア面では良い経験をたくさんさせてもらった。
そこらへんの温室で、大事にされすぎて腐っている会社員よりも、”キャリアとしては”経験豊富である自負がある。
それでも、大事にしたい価値観だけでも守ってくれという話だ。
20代として、パートナーに向き合いたいし、友人とも夢を語り合いたい。
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本記事は、コロナ禍と激務で地方赴任での暮らしをうまく回せなかった男の、負け犬の遠吠えである。
これを実感していない、共感できない人間は、あぁ、遠くで鳴いてるなぁと、平和な場所から高みの見物をしていれば良い。同情されたとて、この状況が変わることは無いと知っているので。
「そういう逆境を耐えてこそ!」という話は、もっと聞いていない。
負けた野良犬が死のうが、お家でヌクヌクしているあなたには関係のない話なのです。
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