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【貢】埼玉県民が長岡花火を打ち上げる側になった

大きな黒い画用紙に、色とりどりのクレヨンで、火花を散らせる。
右下の木が、ちょっと邪魔だね。サクラかな?
春に大役を務めた彼らに、居場所くらいは与えてあげよう。

長岡出身者に連れられて、初めて「長岡まつり大花火大会」を観覧した。

打ち上げ開始前から、会場周辺は人で溢れかえり、全く身動きが取れない。
すでに無料観覧席はブルーシートで埋め尽くされていた。
それならば、と、方針転換をし、なんとか場所取りに成功。

彼女は構図と穴場を熟知している。
流石、花火観覧の英才教育を受けているなぁ。

***

新潟県中越地震、祖父母の実家を訪ねる

※2004年10月23日に起きた新潟県中越地震の描写がございます。
 当時を想起させてしまう恐れがある内容となっております。
 被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。
===

元々、新潟にはほとんど訪れたことが無かった。

一度だけ、小学生の頃に行ったことがある。
2004年、新潟県中越地震の後である。

祖父母の実家は山古志村にあった。
埼玉県に住んでいる祖父母とともに様子を伺いに行った。
状況がよく分からないまま、クルマに乗り、長い間揺られていた。

祖父母の実家ともなると、親戚とはいえ、ひとりも知らなかった。
が、可愛いお姉ちゃんとか、気の良いおじさんとかに会えるのかなぁなんて期待もしていた。

でも、状況は違った。
知らない土地で、知らない人たちに囲まれ、どうやら大変な状況の最中、この村に来てしまったんだなぁ……
そのとき会った人たちのことは全然覚えていない。

記憶しているのは、初めて見たボットン便所の底なしの暗闇と異臭。
家のトイレは、水が流れ、ラベンダーの香りが満ちている空間というのが当たり前だった。そのため、初めての経験は強く印象に残るものだった。

その家で美味しいお寿司も食べた。
サマーウォーズを見るたびに思い出すような大きな家だった。

もうひとつ忘れられない光景がある。

崩れたお墓、倒れている木々、そして茶色くて巨大な穴。
穴の下では、ブルドーザーやショベルカーが小さく動いている。
かつて山だった場所は、木々が剥かれ、土砂に覆われた大きな穴となっていた。

それを上の方から見た。
正確な場所はどこなのか覚えていないし、聞いてもいない。
でも、忘れられない、忘れてはいけない気がした。

長岡での夏

成人を迎えてからは、何度か新潟に足を運んだ。

とはいえ、苗場や湯沢にスノボをしにいったり、長岡の日本酒を美味しく飲んだりするくらい。
「新潟を楽しむ」というより、他の目的を達成する、その手段が結果的に新潟だった。その程度の愛着だった。

2年前、冒頭で述べたように、花火大会に行くことになった。
ボロい10年モノの軽自動車で、関越道を走った。
――アップダウンの激しい道。
時に、アクセルをベタ踏みしても、80km/hさえ出ない。
「もうやめてくれ!」と言わんばかりにエンジンは唸り続けた。

長岡に着くと、新潟の素敵なところをたくさん教えてもらった。
生姜醤油ラーメン、へぎそば、フレンドのイタリアン、栃尾揚げ、恐竜公園、丘陵公園のひまわり畑……良い夏だった。

それぞれの詳しいグルメ紹介はまた今度にするとして、今日はオススメのラーメン屋とへぎそば屋を1軒ずつ。

ご存じ、ケーズデンキとPCデポのそば。

たいち (長岡/ラーメン)★★★☆☆3.57 ■予算(夜):~¥999tabelog.com

こちらは十日町。

由屋 (土市/そば)★★★☆☆3.61 ■予算(夜):¥1,000~¥1,999tabelog.com

***

8/2の夜。
スーパー「原信」でレモンサワーと焼鳥を買った。
大手大橋の東側にあるイオンそばの公園に陣取った。
土手でもなく陸上競技場でもなく。

「打ち上げ開始でございます!」
快活な女性のアナウンスが響く。

大小様々の職人の魂が打ち上がる。凄い。語彙力が無くなる。
本当に迫力のあるものを見たとき、人間は笑う。

爆発音だけでなく、屋台で焼きそばを炒める音、同じ方向を見つめる人々の歓声が、花火大会の空気をつくる。
生でしか感じられない壮大さ、分かち合う喜びがある。

カウントダウンが始まる。

5、4、3、2、1、、
平原綾香さんのJupiterが流れる。
一斉にリズム良く花火が打ち上がる。

大会の大本命「フェニックス」が始まった。

次第にヒートアップしていき、気づけば視界すべてを火花が覆う。

「こんなに美しいものがあったんだ」

2時間があっという間だった。
凄いものを見たときは、人に感謝したくなる。
花火大会をつくってくれた人、花火大会を一緒に見てくれた人。

各々がスマートフォンやライトをかざして、花火師さんに「光のメッセージ」を送る。これもひとつの芸術、みんなでつくる芸術。

興奮が冷めない。
セブンイレブンで「桃太郎アイス」を買って、帰路についた。

長岡まつり大花火大会に魅了されて

花火大会の虜になった。
翌年である2019年も何とかして、行きたかった。

大会前日は大阪出張だった。
西梅田のビジネスホテルを早朝にチェックアウトし、始発の東京行き「のぞみ」に飛び乗った。

新大阪でお土産に買った551蓬莱の冷凍シュウマイを握りしめ、東京駅で新潟行きに乗り換えた。花火大会当日の上越新幹線は満員。車両間の階段でギュウギュウづめになりながら到着を耐え忍んだ。

この年は、当日有料席を取り、陸上競技場のフィールド内で観覧した。
何度見てもすごい。本当に生で見て欲しい。
文章では伝えられない。表現力不足なだけかもしれないが。

***

2020年も行く気満々だった。
就職をして2年目となり、正式に大阪赴任をしていた。
休日出勤が常態化している中でも、上司に泣きついてでも行こうと決めていた。それほど、この花火大会が好きだった。

ところが、感染症が拡散し、花火大会は中止になった。
日々の苦しい生活の中で、希望であった灯りは消えた。

消沈している中で、長岡花火に関するクラウドファンディングが行われていることを知った。当プロジェクトは、2月に行われる「雪しか祭り」で代替の花火をあげるというものだ。私の1歳下の大学院生たちが中心となって活動している。

本プロジェクトは、地元への感謝の気持ちとして発足した。

https://camp-fire.jp/projects/view/295081

経緯はこんな感じである。
コロナ禍の支援として、長岡出身学生に対して「長岡市応援プロジェクト」が行われた。
これは、「ながおか・若者・しごと機構」「JA越後ながおか」「JA越後さんとう」の方々から、特産品が送られるというものである。
そのお返しに学生たちができることを考えて生まれたプロジェクトだ。
うまくまとめられないので、詳細と熱い想いは下記URLから見て欲しい。

「羨ましい。地域の全世代が双方向的に愛し合ってる。」
素直にそう思った。

そして、これは相当大変なものだろう。
自身も、学生時代にイベントを企画したことがあるので、多少なりとも苦しみを知っている。それが、ひとつの都市を背負うとなれば重圧は計り知れない。

すぐさま賛同した。
お金を寄附することしかできないが、それだけで少しでも仲間に入れてもらおう。これで、晴れてスポンサーだ。

長岡まつり大花火大会は古くから行われてきた伝統ある行事だ。
戦後からは、空襲からの復興として行われてきた。
加えて、震災復興の象徴として、「フェニックス」というプログラムが追加された。
外部の人間からの推測に過ぎないが、この花火大会は、いつでも逆境を乗り越える際の灯火であったに違いない。今回のプロジェクトはコロナからの復興の象徴になる。

プロジェクトメンバーには、素晴らしい故郷に誇りを持ち、逆境を乗り越え、最後までやりきってほしい。

かつて、長岡へ向かった軽自動車は、廃車になる。
雪しか祭りは、何で行こうかな。


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